受講生インタビュー、「映像翻訳講座」ご出身で、翻訳家として活動を始めたばかりの山口裕理さんにご登場いただきました。日本のドラマを片っ端から観ていたという山口さん、どのようなきっかけで韓国語に興味を持ち、どのような気持ちで翻訳を学んできたのか。等身大のお話をぜひ聞かせていただきましょう。

子供のころから大のドラマ好き!

(幡野)韓国語に興味を持ったきっかけを教えてください。

(山口さん)韓国語というより、私はまず、子供のころからドラマが大好きだったんです。日本のドラマです。高校時代に「日本人なら必ず観たいドラマランキング」のようなサイトを見ながら、制覇したくて片っ端から観ていました。年代別だったり、放送局のくくりだったり、月9とか、いろいろあります。いちばん好きな日本のドラマですが、私は松たか子さんのファンなので、「ラブ・ジェネレーション」ですかね。もちろん観られないものもありますが、DVDをレンタルしたりしながら観ました。

(子供のころからドラマが大好き!)

映像翻訳の仕事をされる方がドラマが好きだと何かと良いですよね。韓国ドラマはどんなキッカケで見るようになったんですか?

母が「冬のソナタ」が好きで、あと他のペ・ヨンジュンさんのドラマ「太王四神記」、その2つが家にありました。それらを観てみたら、日本のドラマと全然違うので、面白いと思ったんです。U-NEXTやYoutubeで韓流にどんどん入っていきました。その流れでdTV(現Lemino)の歌謡番組を観るようになりました。音楽番組に字幕がついていて、今度はK-POPにどっぷりハマりましたね。

(初めて観た韓国ドラマは、お母さんが持っていた「冬のソナタ」)

ドラマの台詞やK-POP歌詞の独り言で韓国語をマスター

ではこのころ韓国語の勉強を始めたのですか?

いえ、韓国語はドラマを観たり、音楽を聴いたりするだけで特に学習していませんでした。唯一買った本は、ハングルが読めるようになる、というような本ですね。あと一冊、入門書を買いましたけど、まさに3日坊主で続かなかったです。

大学生のときに旅行で韓国に行って、住んでみたいと思うようになりました。大学の専攻は農学部で、農村社会学を専攻していましたが、卒業したら韓国に留学しようと思って、留学の準備をしていたところ、コロナが流行り出し、行けなくなってしまったんです。

それで、半年間、オンラインで週に1回、マンツーマンのレッスンを受けました。勉強らしい勉強はそれが初めてです。

大学卒業後、釜山に語学留学

韓国語の学習をほとんどしたことがなかったのですね。読んだり聞いたりするインプットはドラマや音楽でなんとかなるかもしれませんが、書いたり話したりするのはどうしていましたか?

書くことは、そのオンラインレッスンで、短いストーリーを聞いて書き起こすことをしていました。その時に結構練習しましたね。会話ですが、私はドラマやYoutubeを観ながら、好きなセリフがあったり、音がかわいいなと思うと口に出してしょっちゅう真似をしてたんです。独り言ですね。そんな習性がちょうど良かったのかもしれません。

コロナの状況を見ながら、留学はしましたが、結局オンライン授業だったんです。行った先は釜山の釜慶大学校語学堂です。釜山を選んだのは、大好きなドラマ「応答せよ1997」の舞台が釜山で、ぜったい釜山にしよう!って思ったからです。慶尚道の話し方とか気に入りましたね。私は生まれも育ちも東京なので、訛りみたいなものに憧れました。といっても、語学堂では方言では話せませんでしたけれど(笑)。

(コロナ禍の韓国留学は釜山へ)

語学堂は1級から6級まであるうちの6級に編入しました。さすがに最初はきつかったですが、なんとかついていくことができました。その上の7級がときどき開講されるそうで、たまたま私が6級を修了した頃、7級が開講されることになり、結局7級まで受講して9ヶ月で帰ってきました。

(ドラマ「ショッピング王ルイ」のロケ地、釜山の古本屋通りへ)

映像翻訳家が主人公のドラマを観て閃いた!

独学で上級者になる方はそこそこいますが、教材をほぼ用いずに上級者になられる方はあまり見たことがありません。ところで翻訳に興味を持ったのはどんなキッカケですか?

韓国にいる間、ネット配信系のドラマ「それでも僕らは走り続ける」を観て、主人公が映像翻訳家だったんですね。それで、「これだ!」と閃いたんです。

そこで映像翻訳が学べる講座を探して、アイケーブリッジを見つけて、オンラインの見学会に参加しました。

見学会の印象、覚えていることなどを聞かせてください。

確か、授業で時代劇の翻訳をしていたと思います。私はそれまで時代劇をあまり観てこなかったので新鮮でしたね。この言葉は現代的なイメージがあるから、時代劇では違うものにするべきだというようなお話があったり、言葉について調べるだけでなく、歴史的背景を調べたり、韓国の歴史と日本の歴史を比べてぴったりな言葉を探す等の話を聞いて、こうして翻訳をしているのかと思い、それまで考えていなかったことを知るきっかけになりました。その言葉が、新しいのか古いのか、優しいのかきついのか、柔らかいのか固いなどに気を付けなければいけないと、その日メモをした記憶があります。

見学会だけでそんなに多くのことを吸収されたのですね。そして、レベルチェックテストに合格し、晴れて授業スタート、ということですね。基礎クラスでの感想を聞かせてください。

基礎クラスでは、記号の使い方、半角か全角か、そしてスポッティング(※注釈:字幕の始まりと終わりを決める作業)など、基本的なルールを教わりましたが、こんなにたくさんルールがあるんだということを初めて知って、驚きました。

オンラインのグループレッスンでしたが、同じ映像で、同じセリフを訳しているのに、どんなに短い台詞でも受講生によって違う訳が出てくるのが面白かったですね。でも、たまに落ち込んでいました。自分だけうまくいっていない気がして……。

自分だけうまい訳が出せていないと感じてしまう

なぜかそう話される受講生の方が結構いらっしゃるんですよ。山口さんもそのように思っていらっしゃいましたか。

みなさんそうおっしゃるんですか? 私はいつもクラスメイトの方の訳を見ながら、「ああ、そうやって訳せるんだ、いいな」と感じていました。社会人として働いたことがなかったので、経験や語彙が少ないのかなと思ったり、まだ若いからか、きちっとした硬い文章や丁寧な文章が苦手だったり……。上の世代の方が良い訳を出したときに、経験が足りないのかな、もっと本を読んだ方が良いかなと悩みました。中には韓国語ネイティブの受講生が上手な日本語を出してくると、わたし日本人なのに、とガッカリしましたね。自分の訳が直訳過ぎるといつも感じていました。

過剰に反応してしまうお気持ち、分からなくはないですが、先生も「翻訳に正解は無い。人と自分を比べないように」といつも口酸っぱくおっしゃっていますよね。大丈夫なんですよ。次に、養成クラスについて聞かせてください。

養成クラスではいろんな作品に触れることができて、とても勉強になりました。養成クラスがきっかけで時代劇を観るようになって、時代劇についてはそれまで知らないことが多かったのですが、イメージが湧きやすくなりました。

インタビューの教材も勉強になりましたね。ハコ(※注釈:字幕が入る部分)の取り方が違う、とか。

吹き替え翻訳は、字幕ソフトを使うのではなく、台本を書く、という感じでとても楽しかったです。自分がドラマを作っているわけではないのに、そんな気分になれました。でも、作っているときは、自分で話しながら書いたりしてとてもうまく行っていると思っていたのですが、いざ授業で発表したら先生から「余っているからもう少し書けましたね」と言われました。

吹き替え翻訳は、年末イベント(2023年12月に実施)の映像翻訳大会で、受講生でもある声優さんに読んでいただいたのですが、先生も「実演してもらうと全然違う」とおっしゃっていましたね。では、次の演習クラスについて聞かせてください。

これまでは受け身的に授業を受けてきたんだなと思いました。演習クラスでは、与えられるだけでなく、自分から能動的にがんばらないといけなくなりました。仕事に近くなっていくことを実感しましたね。

スポッティングが短いと指摘されて、調整したら、今度は長すぎてしまったり……、 演習クラスはさらに少人数になるので、言葉の選び方や、用語や表記の細かいルールなど、具体的に教えていただいたり指摘される機会も増えて、自分の傾向をよく認識することができました。自分への指摘だけでなくて、他のクラスメイトへのフィードバックもメモしました。

ではこのころ翻訳のお仕事を意識されるようになりましたか?

養成クラスの終わりに翻訳会社のリストをいただいていたので、演習クラス終了の直前に何社か、アイケーブリッジで学んだことを書いて履歴書を送りました。

翻訳会社のリストに載っている会社の中で、2社が募集をしていたので、応募して、トライアルを受けました。結果は、1社が字幕の仕事で合格。もう1社はチェッカーの仕事として合格しました。でもこちらのチェッカーの会社からは合格しても仕事依頼はありませんでした。

初仕事はバラエティ番組舞台裏の映像翻訳

そういう話もたまに聞きますね。でも、字幕のお仕事はもらえたわけですね?どんなお仕事でしたか?

初仕事は、バラエティ番組のバックステージ(舞台裏)の動画でした。Youtubeで流すためのもので、1本、10分もないくらいの動画です。それを6,7本連続で受注しました。

日本語訳は完全に若者言葉でいいですよ、と言われました。台本はなかったです。出演するアイドルの中でも、話すことが聞き取れる人と、聞き取れない人がいました。あとはものすごく早口だったり、同時に喋ったりするので、どうしても聞き取れないときがあります。そういうときは「前後の流れに沿って作成しました」等、申し送に書いたりしました。聞き取れないときはそうする、ということを授業で先生に教えてもらっていました。 最初の仕事だったので、そのくらいの長さの動画でちょうど良かったと思います。1本目を送ったあと、「大丈夫そうですね」ということで、2本目から少し翻訳料がアップしました。

それは良かったです。ほかにはどんなお仕事をされましたか?

そのお仕事が終わったとき、1本45分の情報番組を担当しました。15分の番組が3つセットになって45分、という番組です。それを週に1本受注しました。全部で18本だったので、割とまとまった仕事になりました。

アイケーブリッジから紹介された映画祭の翻訳の仕事(※注釈:「花開くコリア)は良い機会でした。そのとき担当したのは英語の作品の翻訳だったんです。「たくさん応募いただいたので、英語の作品でも良いですか?」と聞かれて。英語でも良いと前もって言っていたし、韓国語の字幕が付いていたので、できました。何より、作品自体がとても面白かったんですよ。このときは実際に映画祭に足を運んで、他の作品も観て……、このような映画祭があったんだ、ととても良い経験になりました。

トライアル不合格の時も……。字幕制作会社でのアルバイトを開始。しかし、やっぱり自分の名前で翻訳がしたい!

順調に滑り出しているように思えますね。

いいえ、この間、トライアルを受けて不合格だったところもあります。フリーランスとしてはまだまだ仕事量が足りないと思い、字幕制作会社でアルバイトを始めました。字幕翻訳の仕事ではなくて、スポッティングを調整する仕事です。

収入も安定もしますし長く続いたのですが、やはりアルバイトをしていると、よく言えば心に余裕ができてしまうというか……、やっぱり自分の名前を出して翻訳の仕事がしたいと思ったんです。

あと、翻訳の仕事はまとまった時間や集中力が必要なので、片手間ではできないと思いました。アルバイトをしていると時間がなくなって、夜な夜な翻訳の仕事をしたり、そうすると良い翻訳ができず、良いフィードバックももらえない、という悪循環に陥ります。なぜか、悪いタイミングって重なるんですよ。アルバイトが忙しい時に、翻訳の仕事も佳境に入る、というように。

それで、少し前に思い切ってアルバイトを辞めました。アルバイトをしていると、仕事が来るまでこの仕事をしていればいい、と思ってしまい、自分からメールを送ったりトライアルを受けたりしなくなります。何が何でも受からないと!という気持ちにならないんですよ。

もちろん、実家で暮らしているおかげでもあるとは思います。親も仕事をしていて、家事分担制にしているんです。それぞれが動ける時間に、できる家事をしています。

これからは吹き替え翻訳やウェブ小説の翻訳にもチャレンジしたい

退路を断つのは勇気が要りますが、一つの方法だと思います。おっしゃるように、アグレッシブに動くようになりますね。では、今後の抱負を聞かせてください。

これまではドラマは楽しんで観ていればいいと思っていましたが、いまは字幕を観ながら字幕の文字起こしをしたりしています。資料を作って、訳のヒントにするよう、見返せるようにノートの資料を作ろうかと思っています。

翻訳のジャンルとしては字幕翻訳はもちろんですが、それだけでなく、吹き替え翻訳やウェブ小説など、違う分野にもチャレンジして、日本語の幅を広げられたらと思っています。 あと、私はミュージカルが好きなので、舞台や音楽系の字幕も付けてみたいです。

インタビューは以上です。受講生の方とお話をしていると、私はもう歳だから……とおっしゃる方が少なくありませんが、山口さんのように、若い方は若いなりに悩み、コンプレックスを持っているものなのかと改めて思いました。年齢を重ねると、そのような気持ちも忘れてしまうのかもしれません。新たな一歩を踏み出した山口さん、良いことだけを考えて、前向きに頑張ってください。心から応援しています!

(聞き手:アイケーブリッジ外語学院 代表 幡野 泉)