学院長、幡野が「中国語・字幕翻訳プログラム」出身生の五十嵐陽子(いがらしようこ)様(37歳)に、授業の感想や字幕翻訳のお仕事について伺いました。
(プロフィール)
2012年4月に開講した「中国語・字幕翻訳プログラム」受講生。学習を開始し1年3ヶ月たった「養成クラス」受講中に初仕事を受注。現在はフリーランスの字幕翻訳家として活動中。
子供のころから「中華っぽいもの」が好きだった
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中国語に興味を持ったきっかけは?
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なぜかは分からないのですが、小学生くらいの頃から「中華っぽいもの」に憧れのような興味を持っていたんです。日本的なものより、絵でも山水画とか、中華系、アジア系の雑貨屋なんかも大好きでした。
自然な流れで高校時代に英会話スクールの中にある中国語授業を受けてみました。
短大に進み、専攻は美術でしたが、中国に旅行に行ったり、夏休みに北京に短期留学をしたりしました。
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中国語の学習を本格的に始めたのは?
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卒業したら長期留学してみたいと思い、北京で1年半、中国語を勉強しました。1990年代後半だったので中国の物価も安く、短大時代のアルバイトで貯めた留学資金で1年半暮らすことができました。今とは違いますよね。
華流系の芸能関係にもこのころから興味があって、金城武、チャウ・シンチー、フェイ・ウォン、アーロン・クォック、レスリー・チャンなど、中華圏のスターが好きでしたね。北京から帰って来て、海外で日本語を教える仕事がしたいと思い、中華料理店で働きながら日本語教師養成の学校に通いました。その学校に台湾が好きな友人がいて、その友人の影響で台湾に興味を持ちました。結局、台湾に住んでみることにし、台湾の国立大学付属の中国語学校に通い中国語を勉強しました。台湾は繁体字を用いますが、もともと華流芸能情報は雑誌などでよく目にしていたので、慣れていました。台湾には1年3ヶ月暮らしましたが、住みやすかったですね。
日本に帰国してからは、中国に関係なくいろんな仕事をしましたが、その間また台湾に行き、台湾の幼稚園で日本語の先生として仕事をしたこともあります。
字幕翻訳のデモレッスンで、憧れの水野先生に出会う
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字幕翻訳の勉強をしてみようと思ったのは?
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もともと、アルクの『中国語ジャーナル』を購読していました。2011年の10月号に水野衛子先生のインタビュー記事が載っていました。水野先生が中国語でインタビューに答えるという! その前に、『中国語プロへの挑戦~翻訳家・通訳になるために』(中国語友の会編)という本で字幕翻訳家としての水野先生の記事を読んだことがあり、お名前は知っていましたし、華流芸能にも興味があったため、字幕翻訳という仕事に憧れを持っていました。
その後、やはり『中国語ジャーナルで』水野先生の字幕翻訳講座の情報を見て、「またとない機会」と思い、デモレッスンに参加してみました。
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デモレッスンの感想をお聞かせください
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デモレッスンでは字幕翻訳の面白さを感じ、勉強を始めてみようと思いました。何よりも、水野先生を間近で拝見したのでとても緊張しました(笑)!
デモレッスンの帰り道、参加者の方(あとでクラスメイトとなる方ですが)も私のようにもともと水野先生のファンだったので、「すごいですよね!」と興奮しながら話して帰ったことを覚えています。
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字幕翻訳の学習はいかがでしたか?
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すべてが勉強になりました。字幕翻訳に関しては何も知らない「ド素人」だったので、「1秒4文字」(セリフが話される1秒間に、日本語字幕は4文字入れられるというルール)のルールとか、新鮮でしたし、ゼロから教わることができて有り難かったです。
もともとパソコンに詳しい方ではないので、始めは字幕翻訳ソフトを使いこなすのには苦労しました。また、スポッティング(映像に字幕が入る部分を取ること)が難しい。今でも苦労しています。作業時間の3分の1くらいは、訳をつける時間でなく、スポッティングの時間です。日本語訳を考えるより難しく感じることもあります。
「日本語の表現力が大切」とは、先生だけでなく、いろんな翻訳家の方がおっしゃいますよね。もともと読書はあまりしない方だったのですが、水野先生から「表現力を磨くため、読書量を増やすように」と言われてからは、中国語の本も読むようにしました。
水野先生から中国の社会事情や芸能情報を学べたことは、いまの中国情報に疎い私には大変興味深かったですね。
なにより、「学校に通う」というのが楽しかったです。学校に通うとクラスメイトができ、一緒に学べる楽しさがあります。クラスメイトとはいまでも交流があります。
初仕事の受注。映画祭の映画翻訳も手がける
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どのように初仕事を受注しましたか?
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アイケーブリッジではまず「基礎クラス 」を受講し、次に「養成クラス」を受講しました。「養成クラス」の2ターム目がはじまってすぐ、学校からメール配信された求人情報を見て、応募し、トライアルテストを受けたら合格したんです。なんと「経験なし」「映像翻訳勉強中」でもOKだったんですよ。「経験必須」のところが多いので、ありがたかったですね。
これは現在もずっと続けている仕事で、中国のドキュメンタリー番組の翻訳です。トライアルテストは、その番組の5分間くらいを、ソフトを使って訳してみることでした。この頃、PCの字幕翻訳ソフトも、翻訳会社と互換性のあるプロ仕様のものに替えました。
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映画翻訳も手がけられましたね?
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はい、これまで2本の映画を翻訳しました。最初は「中国インディペンデント映画祭2013」の上映作品です。2年に一回催されるイベントで、水野先生から情報をいただきました。このときトライアルテストはありませんでした。水野先生の授業を受けていたということと、ドキュメンタリー番組の翻訳をしているという実績はあったので、いただけたのかもしれません。
私が担当したのは『白鶴に乗って』(原題『告诉他们我乘白鹤去了』)です。映画祭で来日したリー・ルイジン監督や奥様と会うこともできました。
この作品は、おじいちゃんと孫の、ゆったりした雰囲気の作品。ラストは少し衝撃的ですが、ストーリーの起伏があまりない、静かで文学的な作品です。もともとこういう映画が好きな方だったので、自分の好きだと思える作品だったのはラッキーだと思いました。セリフも多くなくて助かりましたね(笑)。舞台は中国の甘粛省。なまりが強い中国語だったので、全編聞き取りはできず、台本を頼りに翻訳したりもしました。
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もう一編はどんな作品でしたか?
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知人の翻訳者さんの紹介で、「2014東京・中国映画週間」の翻訳を任せて頂けることになりました。担当したのは、『息もできないほど』(原題『我想和你好好的』)という、リー・ウェイラン監督の作品です。
主演のウィリアム・フォンさんは中国のトップスター。映画は現代の北京の若者の話で、とっつきやすかったですね。時代劇などは難しいですから……。若者言葉は分からないものも出てきましたが、ネットで調べたりして楽しみながら作業ができました。
映画の上映は主に品川プリンスホテルで行われました。ホテルで行われたレセプションパーティーに参加。日中で有名なスターもいて、華やかでした。「翻訳者」と紹介されると緊張しましたね。基本的に翻訳者は裏方だと思っているので……。翻訳者の中にはアイケーブリッジで一緒に学んだクラスメイトもいて、楽しかったです。
これから字幕翻訳を勉強してみようと思う方へメッセージ
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字幕翻訳の面白さはどんなところですか?
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面白くもあり、難しいところでもあるのですが、やはり「字数制限」があり、直訳できないところですね。そして、自分の訳次第で、その雰囲気や言葉のニュアンスが良くも悪くも変わるところ。
中国語の表現の中には、直訳しても日本人はぜったいこう言わないよ、という表現が多いですよね。よく先生から言われましたが、一つ一つの言葉を直訳するのなく、セリフひとかたまりを日本語だったらどう言うか、日本人だったらどう言うかを考えなさい、ということ。このように自然な日本語を考える作業はとても面白いです。
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これからの目標はありますか?
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中国のドキュメンタリー番組の翻訳を始めてそろそろ2年になります。翻訳者を募集する条件として「経験2年」を掲げるところが多いんです。なので、これからはもっと仕事の幅を広げてみたいです。
ドキュメンタリーはずっとナレーションだったりもするので、映画翻訳をもっとしてみたいですね。映画翻訳は楽しいんです。いろんな役がいて、キャラクター立てをして、会話があって……、翻訳していると作品に愛着も湧いてきます。
今はまだ、ちょっとは進歩しているのかな、うまくなったのかな、と不安になることもあります。翻訳に時間がかかってしまうのも悩みどころ。でも、急に輝かしいデビューというのは難しいと思うので、最低5年くらいはなんとか頑張らないと、と思っています。
インタビューを終えて
五十嵐さんが当校で字幕翻訳の「イロハ」を学ばれ、在学中に晴れて初仕事を受注。その後、映画祭で映画翻訳を手がけたりなど、少しずつお仕事の幅を広げていかれているのはとても嬉しいことです。「石の上にも三年」とも言いますし、まだまだ可能性はあるでしょう。今後のご活躍を心よりお祈りしています! お話をお聞かせくださり、ありがとうございました。(幡野)
取材日時:2015年2月